FC2ブログ

Dear マミー♪

20代の頃から、母のように慕ってきた大切な大切な恩師が、
最期の息を引き取りました。

私の母より、3つ年上の、それはそれはステキな女性でした。


病気知らずで、いつもパワフルだった彼女が、4年前の1月に手術。

それでも、持ち前の明るさとポジティブシンキングを持ち続け。

昨年9月まで、週に1回は、葉山でゴルフを楽しまれるまでに快復していました。

昨年12月、ついにご自分の意思でホスピスへの入院を決め。

私の祖母同様、それはそれは、静かに、そして穏やかな最期の「時」を、過ごして
いらっしゃいました。

が、先日ついに、愛するご主人と、愛おしいお嬢様に呼ばれて。
お空の向こうの楽園へと旅立ってゆかれました。




私がマミーと出逢ったのは、アメリカ・ロサンジェルス。

マミーは、いわゆる「支店長夫人」という、私にとっては雲の上の存在のような方でした。

にも拘らず、出逢った頃から、何故か、私のことを、とてもかわいがってくださり。

右も左も、アメリカ生活も、駐在生活もまったくわからない新妻の私に、
家事のノウハウから、お料理、英語、そして、社交術を、手取り足取り、
1から教えてくださいました。

まだ20代半ばだった私には、おしゃれで美人で、社交的なマミーがとてもまぶしくて。

「あんな風に歳を重ねたい!」と、ずっと憧れていました。


「貴女と娘が、重なるの。 生きていたら、娘も貴女と同じ歳・・・」

突然、聞かされたとても悲しいお話に胸が痛みました。

マミーは、自身が味わった辛い辛い経験から、異国の地において、
「いのちの電話」というボランティアに、真剣に取り組まれていらっしゃいました。

支店長夫人として多忙な日々を送る合間に、アメリカに住む、いろいろな国籍の、
悩める方々を、全身全霊で支えていました。

私は、いつしか、マミーの心の中の、もうひとりの娘になろうと決めました。



帰国後、住み慣れた鎌倉の地に居を構えたマミー。
運命の赤い糸に引っ張られるかのように、私もマミーの、すぐそばに住むことに
なりました。

それは、偶然というより、必然・・・だったのかもしれません。


マミーは、アメリカで築いた人脈を辿って、イッセイ・ミヤケのブティックを、鎌倉に
オープンされていました。


人生の大きな転機を迎え。
将来の希望も、生きる喜びも失って、ボロボロだった私のそばに寄り添い。

全身を包みこむ、暖かな真綿のストールを、私の心にかけてくださったのが、マミー。

それから、マミーのブティックで、しばらく、私も一緒にお仕事をさせていただくことになりました。

鎌倉という土地柄か、本当によいお客さまに恵まれて。

ともに笑い、ともに泣いて。
そうして、時々お洋服。

マミーと一緒に、ステキなお洋服を仕入れて、選んで、ディスプレイする時間は、本当に幸せで。
私には夢のような日々でした。


マミーは私に、「食べる=生きる」ことの大切さを、もう一度、教えてくださいました。

「貴女と娘が重なるの・・・」 

マミーは、何度もそう言って、私の心と身体を支え続けてくださいました。

マミーはその大切なお店を、昨年の春まで続けていました。



いつでも、どこでも、誰にでも、 自分にも、真剣な方でした。

自分の芯をぶれさせず、何事にも興味を持って。
常に成長し続ける人でした。

出逢ったすべての人の「よいところ」を見付けて、愛情を注ぐ方でした。

だからこそ、お料理も一生懸命でした。
マミーのお料理は、私に、生きる勇気とチカラを与えてくれました。

妻としては、内助の人でした。

そして…
私のもう一人の母として、人生の先輩としては、いつも対等な立場で、自らの考えを、
真剣にぶつけてくださる方でした。



マミー、かけがえのない沢山の時間をありがとう。

願わくば・・・
もう少しだけ、そばにいて欲しかった。

私がもう一度、幸せになるのを見届けて欲しかったです。


これからは、今まで以上に、そばにいてくださいね。

いつかマミーと再会できた時、恥ずかしくないよう、私も、日々を丁寧に大切に・・・
そうして、力強く、生きていきます。

5195946_291418999_1large.jpg



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

リリー

Author:リリー
I love 逗子!
おいしいお店、ステキなお店、和めるお店をご紹介します。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる