美ら沖縄♪~青い海の奥深く~

沖縄旅最終日の朝も、見事な晴天!

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あ~あ、この景色とも今日でお別れかぁ。

ゴールデンウィーク後半戦初日・土曜日ということもあり・・・
この日から、沖縄には、本土からの観光客が一気に押し寄せてきます。

いいなぁ~私も沖縄に降り立った、あの時間にタイムスリップして。
また1からやり直したい・・・などと、わがままなことを思ったり。(笑)

沖縄滞在も最後なら、ホテルの朝食バイキングも最後。

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沖縄ならではのお料理を盛り付けてみました。


特に・・・
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「にんじんしりしり」(人参と卵炒め)

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「クーブイリチー」(昆布と豚肉炒め)!

これこれ! 沖縄で食べてみたかったのですよ~♪
美味しい~! タッパにいっぱい詰めて持って帰りた~い。


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サラダは、沖縄野菜をメインに・・・

ってか、夕べ、あれほど食べたのに、またこんなに食べる?!

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シークワーサージュース、オレンジジュース。
そして「モズク酢」もジュースのようにゴクゴクゴクゴク。


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2日間、お世話になったホテル。
極上ステイをありがとう♪

お部屋からのViewはサイコー。
アルコールフリー(違う意味でのネ・笑)の専用ラウンジもNice!
お料理はもちろん、スタッフの対応も、サービスも、アメニティも・・・
何もかもが5つ星でした~☆☆☆☆☆

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日常の一切の喧騒から私たちを解放してくれたステキな時空間に
心からのサンキューベルベル♪



帰りの飛行機は18時過ぎ。
2時間前に空港入りするとして、あと半日は沖縄を存分に楽しめるっ♪

当初は、かの有名な「国際通り」でお土産を物色予定でしたが。
この2日間、沖縄の自然の風や音に触れ・・・
その「穏やかな余韻」を抱いたまま帰京したくなり。

いわゆる「繁華街」的な場所に立ち寄るのは、敢えて避けた次第デス。


ということで・・・
最終日も「沖縄でしか見られない」景色と風を感じに出掛けることにしましたよ。


最初に向かったのはこちら。

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「万座毛」
沖縄本島西海岸・恩納村(おんなそん)にある景勝地。

「万座毛」という不思議な名前は、18世紀初頭の琉球王・尚敬(しょうけい)が
この地を訪れた際、
「万人が座するに足る毛」(一万人が座ることのできる広い野原)と称讃したことが
由来といわれているそうです。


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その名の通りの広い草原の中に立つと、沖縄の海と空を、
より広く、青く感じることができました。

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サンゴ礁の断崖に打ちよせる波。
エメラルドの海。

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そして、象さんのお鼻のような絶壁の岩。

雄大なその美しさに、ハっと息を飲むほど。


と同時に・・・
この景色の裏には、数え切れないほどの悲しみ、苦しみがあったに違いない・・・と、
直感的に感じたのも確かで。

今でこそ、沖縄きっての景勝地とされている”万座毛”が、
かつては、悲惨な戦争の舞台であったこと…ちょっと調べてみました。


恩納村は、沖縄本島中央部の西海岸側に位置する、総面積50.79平方キロメートルの
長細い村。

昭和20年3月。
沖縄地上戦を目前に、日本軍は恩納村住民に対して避難命令を発しました。

恩納の方々は、防空壕や避難壕の中へ。
いつ降ってくるやも知れぬ「鉄の雨」に怯える日々を送られたそうです。

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そして、4月1日。
米軍は読谷村(よみたんそん)海岸を中心に上陸しますが、
海沿いに隣接する、南恩納(みなみおんな)の海岸からも、次々と上陸。

恩納の方々は、さらに、大森林の山に築いてあった防空壕への避難を余儀なくされました。

食糧不足の、辛い辛い、山での生活。
その最中も、多くの方が米軍の捕虜となり・・・収容所へと送られました。

そして、ここ「万座毛」では、米軍から逃れ、追い詰められた民間人が、崖下へ投身・・・
集団自決も行なわれたそう。


更に・・・
昭和47年に沖縄が日本に返還されるまで、この辺り一帯は中国、北朝鮮、北ベトナムの
”放送電波受信装置”が置かれる米国国務省所管の放送局基地となり・・・
幾つものアンテナが、豪勢に張り巡らされていたとのこと。

この場所を拠点に、アジア諸国の情報が、ひたすら収集されていたのでしょう。

立ち入りも厳しく禁止され、制限されていたことは、容易に想像できます。


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万座毛が、現在のように絶景や夕陽を楽しめる景勝地となったのは、返還後の事。

返還に伴い、高く立ち並んでいたアンテナをはじめ、施設類はすべて撤去されました。

実際、今の万座毛は、アンテナのアの字もなく、杭の跡すらありませんでした。


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万座毛を目の当たりにした瞬間・・・
昔から、こんな長閑な光景が広がっているとしか思えなかった私が、
そこにいました。

でも・・・
日本が誇るこの景勝地こそが、「静かな語りべ」であり。

観光地として楽しめる事が決して当たり前で無かった時代が、
つい、この間まで続いていた事実を考えれば・・・

自ずと感じ取れるものがあるはず。

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何の予備知識もなく、訪れた万座毛だったのに。
そこで感じ取った不思議な感覚は、沖縄が背負ってきた、
深い、深い悲しみだったのかな。

そんなことを思うと・・・
なぜ、沖縄の海が、こんなにも深く、青く。

そして、美ら海・・・と呼ばれるほど、美しい理由(わけ)が、
わかったような気がしました。

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本土の海には見られない、神秘的な美しさ。
それは、沖縄が見てきた、悲しみの裏返し・・・


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一昨年、天皇陛下が万座毛に来られ、その時の想いを詠まれた歌碑。
【万座毛に 昔をしのび巡り行けば 彼方恩納岳 さやに立ちたり】




ふと、「さとうきび畑」の唄を思い出しました。
この唄が流れると、普段、感情をほとんど表に出さない寡黙な父が、
人目もはばからず、号泣するのです。

終戦直前まで、日本海軍として出兵する覚悟をしていた父。

この唄を耳にすると、胸に去来する想いがあるのでしょう・・・



「さとうきび畑」~1部抜粋~

(作詞/作曲:寺島尚彦)


ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
今日も見渡すかぎりに
みどりの波が うねる
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
昔 海のむこうから
いくさが やってきた
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ
父は 死んでいった
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
そして 私の生まれた日に
いくさの 終りがきた
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
忘れられない悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ
波のように押しよせる
風よ 悲しみの歌を
海に返してほしい
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
風に涙はかわいても
ざわわ ざわわ ざわわ
この悲しみは 消えない

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次に帰省した際には、今回の沖縄旅の写真を父にも見せながら、
またいろいろと話を聴いてみたいと思います。

このあとは、赤のお城へと向かいます。(続きはまた後日・・・)


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